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2007年7月14日(土曜日)

林住期

カテゴリー: - 早川まさてる @ 23時28分40秒

林住期

 臨終期?なんのこと? そんなストレートに死ぬ時期のことを話してるのかな?

 誰かが「臨終期をどう生きるのか、云々」と話をしている。えらく世の中、さばけてきたなぁと思っていたら、どうも「林住期」という事らしい。五木 寛之さんの本の題名で、売れているとのこと。

 「林住期」とは、人生を四分して、それぞれの時期における生き方を示す古代インドの思想の中で、「学生期」「家住期」と「遊行期」の間に当たる時期を指すらしい。

 検索してみたら、今、ガンで闘病中の小田実さんの文章を見つけた。(小田さんは闘病中というよりは、旅立つ前に言うべきことを発信中という感じを受ける。実は19才の頃、新入生歓迎の講演を小田さんに依頼したのだがみごと断られたことがあった。そのまま夜行の鈍行列車に飛び乗って東京から神戸に行き、「来てしまいました」と小田さんに会いに行ったことを懐かしく思い出す。結局講演は実現した。)

遊行期の「聖者」たち(小田実)
http://www.odamakoto.com/jp/Article/oiru2.html

 インドのヒンズー教の教えは、人生を学生(がくしょう)期、家住期、林住期、遊行(ゆぎょう)期の四期に分ける。

 学生期は、子供のころ、人生の準備期で、あとすぐ仕事をし、家庭を持ち、子供を育てる家住期に入り、やがて子供が大きくなって家を出て行くころから、仕事と家庭のしがらみを離れて自由に生きる林住期の一時期を過ごし、あとサトリを開いて「聖者」となった人間を除けば、たいていの人間は林住期の後家に戻る。あと何をするか―死ぬ。

 実は、高校生の頃、小田さんの「何でも見てやろう」という本に刺激を受けた。カルチャーショックなるものを受けてみたくなったのだ。20才の秋、地球の歩き方インド版が初めて出版された直後のころだが、20万円を握りしめて、インド(とタイとネパール)を1ヶ月半、一人旅をした。20万円といっても、16万円が航空券代。1ドル240円ぐらいの時だから、今で言うなら1ヶ月半の宿泊交通食費予備費、全部ひっくるめて2万円である。確か両親から餞別は頂いたと思うのでもう少しあったかもしれないが、初めての海外旅行としては地獄であることには変わりない。案の定、強烈なカルチャーショックと果てしない下痢の中、<コストパフォーマンス良くカルチャーショックを体験したい>という当初の目的は極めて順調に達成された。

 (後に、私の影響もあって多くの友人がインドを訪れた。中でも、ある女性が帰国後、私に「全然平気。あはは、楽しかったぁ。」とあっけらかんと語った時の衝撃は、今でも覚えている。)

 その激烈な衝撃にもがいている最中、ベナレスのガンジス川の川沿いで、人が白い布にくるまれ、井げたに組んだ木の上に載せられて焼かれてゆくのをずーっと見ていたことがある。焦げるにおい、頭に降り積もる灰、口のあたりをくるむ白い布が黒くなり、もわもわと立ち上る煙。井げたからはみ出て焼け損ね、ぼとんと落ちた足を加えて走る犬。焼き上がったのか生焼けなのか不明だが、長く伸びた背骨に数本の肋骨が付いたやつがぼよよんとしなりながらガンジス川に放り込まれる。

 25年前の正にこの場所である。

 え、骨ってあんなに弾力があるの?とか、死んだらあんだけのもんなんだ・・・とか、放り込まれた骨は川の中で山になっているのだろうかとか、川を流れてゆく服を着たぱんぱんにふくれた固まりは焼いてもらえなかったのかなぁとか、人の命は地球より重かったんじゃなかったっけ?とか、降り積もる灰を払いながら、ぼんやり考えていた。

 <死を待つ人の家>にも行かせてもらった。ヒンズー教では、死んでガンジス川に流してもらったら輪廻が終わると考えられている。死期が近いと感じたら、ここに来て静かに死ぬのを待つらしい。

 さて、難病を持つ友人がいる。彼は本来、いや普通ならとっくに旅立っていてもおかしくない。が、それなり(以上)に活動している。彼が先日話していた。「子どもも大きくなった。もう、元は取った。一日一日が生きているだけで丸儲けだ。」思わず吹き出してしまったが、納得できる。私も、まだ人生のミッションは残っている気がするので、いつでもどうぞという心境ではないが、そして、子ども達が全員成人するぐらいまでは家族の一員として生身でいてやりたいという気持ちもあるが、個人的人生の収支としては、丸儲けモードに入ったと、45才の自分としては感じている。

 吉田松陰 留魂録 第八章

 今日死を決するの安心は四時の順環に於て得る所あり。
 蓋し彼の禾稼を見るに、春種し、夏苗し、秋苅り、冬蔵す。
 春秋に至れば人皆其の歳功の成るを悦び、酒を造り醴を為り、村野歓声あり。
 未だ曾て西成に臨んで歳功の終わるを哀しむものを聞かず。
 吾れ行年三十、一事成ることなくして死して禾稼の未だ秀でず実らざるに似たれば惜しむべきに似たり。
 然れども義の身を以て云へば、是れ亦秀実の時なり、何ぞ必ずしも哀しまん。
 何となれば人寿は定りなし、禾稼の必ず四時を経る如きに非ず十歳にして死する者は十歳中自ら四時あり。
 二十は自ら二十の四時あり。
 三十は自ら三十の四時あり。
 五十、百は自ら五十、百の四時あり。
 十歳を以て短しとするは?蛄をして霊椿たらしめんと欲するなり。
 百歳を以て長しとするは霊椿をして?蛄たらしめんと欲するなり。
 斉しく命に達せずとす。
 義三十、四時已に備はる、亦秀で亦実る、其の秕たると其の粟たると吾が知る所に非ず。
 若し同志の士其の微衷を憐み継紹の人あらば、乃ち後来の種子未だ絶えず、自ら禾稼の有年に恥じざるなり。
 同志其れ是れを思考せよ。

死を覚悟して落ち着いていられるのは、四季の循環に思うところがあるからだ。
春に種をまき、夏には苗を植える。
秋になり収穫を迎え、冬になるとそれを蔵へ。
その歳の収穫を喜び、酒を造り、村々には歓喜の声があがる。
収穫期を迎えてその歳が無事に終わったもの悲しむ者がいるなどと聞いたことはない。
もうすぐ一生を終えようとしているときだが、いまだ何一つも成し遂げたものがない。
惜しむことなのだろうが、自分自身について考えれば、花が咲き、実りを迎えたときなのだろう。
十歳には十歳の、二十歳には二十歳の・・五十、百歳にも人生の四季というのもがある。十歳という命が短いということは、セミを霊木にしようと思うことだ。
百歳という命が長いということは、霊木をセミにしようとすることだ。
どちらにしても、天寿ということにはならない。
私は三十歳。人生の四季はもう備わっていて、花を咲かせ、実をつけている。
その実が単なる籾殻なのか、成熟した栗の実なのかは、自分の知るところではない。
もし、同志の中に私の真心を憐れみ、受け継いでくれる者があるならば、それはまかれた種が絶えることなく、穀物が年々育ち続けることと同じである。
君たちよ、このことをよく考えて欲しい。

 吉田松陰29才。処刑前日の文章である。

 さて、やっと本題である。

 7月11日に、久美浜病院主催で病院職員対象の研修会「医療安全管理講演会–終末期医療(疼痛緩和医療)について」という講演会があり、参加してきた。京都府立医科大学麻酔科助教授の細川豊史疼痛緩和医療部長の講演だったが、非常に素晴らしい内容だった。

 疼痛緩和についての概念を京都府立医科大学のHPから引用してみよう。

★疼痛緩和医療部の理念
http://www.kpu-m.ac.jp/hospital/practice/center20.html

「がん」克服のため最新の機器、技術、知識を駆使して、手術、化学療法、放射線療法が本院で施行されている。この治療過程において、薬剤、放射線などによる副作用である嘔気・嘔吐、息苦しさ、倦怠感、貧血、そして誰もがおびえる「がん」による強い痛み(がん疼痛)が患者さんに辛い思いをさせることもある。さらにこれらの耐え難い症状を背景に患者さんは不眠、不安、うつなどの精神症状に家族ともども苦しめられる。
 
かつて終末期医療という言葉があったが、我々の目指す緩和医療と同義ではない。「がん」の経過中に生じるすべての不快な症状、愁訴を緩和・軽減することが「疼痛緩和医療部」の目指す“緩和医療”である。厚生労働省は、がん診療拠点病院制度を設け、質の高いがん治療を行える施設を限定していく方針であり、その施設内で緩和医療が出来ることを義務づけている。がんの診断・治療・緩和医療は常に“三位一体”のものであることは、このことからも明らかである。

 (もっと詳しくは、こんなサイトもあった。身近にガンの人がおられる方には有用だと思う。http://www.shiga-med.ac.jp/~koyama/analgesia/analg-cancer.html

 私自身、10年前に父親をガンで亡くしており、終末期にはモルヒネを使いながら在宅で見送った経験がある。友人の麻酔科医からの電話でのフォローも得て、地元病院の先生に往診していただいた。そのとき、WHOの標準治療?なるものがあり、これを適応するだけで8割?の痛みは軽減できるという話を聞いた覚えがある。

 今回の講演で、その頃から色々と変化・進んだ面があることを知ることが出来た。メモなしの記憶なので、間違っているかもしれないが、印象的だったポイントを上げてみる。

・疼痛緩和は、昔は治療が難しい段階に入った人向けに行っていた(疼痛緩和をすると言うことは、治療をあきらめた?=終末期医療(ターミナルケア)と思われていた)が、今は、発見直後から不快な症状、痛みを取り除くことが大切であり、これによって免疫力、病気に立ち向かう力が強くなることが立証されている。

・押さえることが出来る痛みを放置して、疼痛緩和をしないということが法律に触れる可能性がある時代になった。

・痛みの原因は、全人的なものであり、精神的・スピリチュアルな部分まで広げて対応する必要がある。

・麻酔科医だけではなく、様々な分野の専門家・ボランティアが関わってチーム医療を行ってゆく必要がある。

 1/3の人がガンで亡くなる時代、他人事ではない。自分がガンになったら、当然告知は必須であり、疼痛緩和と免疫療法も必須である。知っているのと知らないのでは大違いの状況(患者さんが知らなかったら、未だに痛みを我慢しなければならない環境もある。)も現実である。

 久美浜病院がこのような講演会を開き、会場満員の職員の方達に積極的に働きかけていることに敬意を表したい。

 そして、どんな臨終期を迎えたいのか、どんな治療を受けたいのか、これは患者自身が選ぶことであろう。

患者の生き方を支える医療機関、医療のプロ集団を目指して邁進されることを期待している。

作成日: 2007/07/14


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